前  言 (1)


                                             弘前大学  植木 久行
                     
 平成17年度から3年間にわたって、「詩跡(歌枕)研究による中国文学史論再構築ー詩跡の概念・機能・形成に関する研究ー」に対して、科学研究費補助金が交付されることになった。この課題を研究する一環として、初めの2年間に一度ずつ中国の詩跡の実地調査と資料・情報の収集を行うことにした。そしてその成果の一部を、最新の写真を交えて、インターネットで公開する。

 平成十七年度は、9月3日(土)から9月13日(火)にわたって、江南地方の詩跡を集中的に実地調査した。この調査に参加した者は、筆者のほかに、李梁(弘前大学)・松尾幸忠(岐阜大学)・許山秀樹(静岡大学)の3人である。今回の主要な探訪地は、江蘇省鎮江市(潤州)→揚州市→安徽省滁州市→和県→馬鞍山市→当塗県→宣城市(旧・宣州市)→南陵県→涇県→九華山→池州市(旧・貴池市)である。

 今回の調査によって、詩跡の再建・復元に関する新しい知見が得られた。たとえば、鎮江市では王昌齢の詩にちなむ芙蓉楼が、本来の場所とは異なる金山公園内に造られていた。また揚州市では、大明寺の境内に九層の棲霊塔が再建され、観光産業に役立っていた。また本来、城外にあった二十四橋(1つの橋の名。本来の用法とは異なる)が、古典詩語の持つ高い知名度のために、痩西湖公園の中に組み込まれていたことも、この意味で印象的であった。

 揚州市では、杜牧の詩にちなむ竹西公園(竹西亭・月明橋)、さらに杜牧の詩に見える禅智寺(後の上方寺)跡の探訪は、有意義であった。現在中国では、都市の変貌と価値観の多様化が激しく、近年まで伝存していた詩跡も地上から失われて、その在りかさえ不明になるものが多い。たとえば、北宋の詩人、梅尭臣の故郷は、宣城市の南郊外であるが、今回の探訪では、その祠の所在すら不明であり、当地の故老の話でようやく跡地を探し当てることができた。ゆかりの碑石が小川(梅渓)の橋として利用されている現状に接して、私たちは愕然とした。

 当塗県では、汗を流しつつ包子山に登って、李白が敬愛した謝脁ゆかりの青山謝公祠・謝公井の跡地を探索したことも忘れがたい。また宣城の敬亭山では、山中の太白独坐楼を訪ねる途中、玄宗の妹・玉真公主の墳墓の存在を知り、そのほとりには、李白が飲用したと伝える皇姑泉(相思泉)もあって、思いもかけない収穫を得た。

 謝脁・李白・杜牧などの詩に彩られた宣城市では、謝脁楼・宛渓・句渓・開元寺塔・響山などを訪ね、入手した市街図も参照して、それぞれの位置関係や距離感を確認することができた。かつて明鏡にたとえられた宛渓は、現在かなり汚濁しており、句渓は今日、渓流としての姿はすでに失われて、部分的にしか残存していなかった。李白や梅尭臣の詩に歌われた響山の探索では、民家や畑の間を縫うように歩き、当地の人に尋ねて、ようやく確かめ得た時の思いは忘れがたい。

 滁州の酔翁亭、涇県の水西寺の塔、桃花潭、李白「秋浦の歌」に歌われた池州の清渓河(白羊河)など、それぞれ印象深く、杜牧の詩にちなむ杏花村古井文化園などは、観光資源の目玉として美しく整備されていたが、同じ池州の斉山は少し荒廃感を漂わせていた。

 このホームページに載せる写真は、主に許山が撮影したものを使用し、解説の文は主に松尾と植木が執筆し、それぞれ最後に執筆者の名を記した。いずれも準備の完了したものから順次掲載する方針である。またホームページの管理は、許山の運営にかかる。インターネットによる成果の一部の公開が、詩跡研究の進展に多く寄与できることを願っている。
                                                平成18年1月2日夜