詩跡名 于謙墓
別称  
地理 浙江省杭州市
代表作
訪問日 2010.9
関連語
その他  
説明  于謙墓…西湖の西南、西湖区の三台山下にあり、明の天順3年(1459)に造営され、1982年、重修された。墓前の于謙(うけん)祠は、明・弘治3年(1490)の建造。現存のものは、清・同治8年(1869)に再建された基礎の上に、1998年重修されたものである。

 明の于謙
(1398-1457)は、当地、銭塘(杭州)の人で、著名な政治家。正統14年(1449)、土木の変後、兵部尚書となって景帝を擁立し、蒙古の南侵に抵抗して都を守った。しかし景泰8年(1457)、英宗が復位すると、殺され、翌年、ここに帰葬されたのである。諡(おくりな)は忠粛。

 明末・清初の黄周星「西湖竹枝」詩には、都城を防衛した功績を「山川の改まらざるは 英雄に仗
(よ)る」とたたえ、同じく西湖の山麓に埋葬された英雄岳飛と並べて「岳少保(飛)は于少保(謙)に同じ、南高峰は北高峰に対す」と歌っている。

 また同時期の屈大均「于忠粛の墓」に、

一代の勲猷(くんゆう)(功績)在り
千秋 涕涙
(ているい)多し


とあり、清・孟良揆
(もうりようき)「于忠粛の墓」には、

曾て青史(史書)に従いて孤忠を弔いしに
今見る 荒丘
(荒れた于謙の墳墓) (飛)墓の東


と歌われている。
(岳墓の【東】は押韻のために置かれたもの。本来なら【南】とすべきところである)于謙の偉大な功績と哀れな末路が慨嘆されている。
(植木 久行)

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