詩跡名 天竺寺(下天竺寺)
別称  
地理 浙江省杭州市
代表作
訪問日 2010.9
関連語
その他  
説明  天竺寺(下天竺寺)…寺は東晋・咸和(かんわ)5年(330)の建立にさかのぼるが、天竺寺(てんじくじ)の名は隋の開皇15年(595)、僧真観が道安禅師とともに拡張して、霊隠寺(れいいんじ)から独立して以降のものである。かくして霊隠寺と天竺寺は、山門を同じくし、霊隠天竺門と呼ばれた。中唐の白居易は「韜光(とうこう)禅師に寄す」詩のなかで、この珍しい情景を

一山門 両山門(両寺の山門)と作(な)
両寺は原
(も)と一寺より分かる


と歌っている。従って天竺寺の登場は、唐詩以後である。盛唐の綦毋潜
(きぶせん)「天竺寺に登る」詩には、まず地勢を「郡(杭州)に化城(けじょう)(仏寺)の最(第一)有り、西のかた畳嶂(じょうしょう)(重なり合う峰)の深きを窮む」と詠んだ後、荘厳な寺と周囲の景色を

仏身 紺髪を瞻(み)
宝地
(仏寺) 黄金を践む
雲は竹渓に向かって尽き
月は花洞より臨む


と歌う。同時期の陶翰「天竺寺に宿す」詩には、寺院の壮麗・静謐さとそのなかで澄みわたる心境とが、

正殿 霞壁に倚(よ)
千楼 石叢に標
(た)
夜来 猿鳥静かにして、
鐘梵 雲中に響く
(みね)の翠は湖月に映じ
泉の声は渓風に乱る
心は諸境の外に超え
(つい)に懸解(悟り)と同じ


と詠まれている。

 白居易は杭州在任中の600日間に12度も霊隠・天竺の両寺を訪れ、月桂
(月中に生える桂樹(もくせい))の実を求めたりしている。

「旧
(も)と説う、杭州の天竺寺は、毎歳、秋中(8月15日)に月桂の子(み)の堕(お)つる有り」(白居易「東城の桂」詩の自注)と。初唐・宋之問「霊隠寺」詩に、

桂子
(けいし)(モクセイの実) 月中より落ち
天香
(妙なる天上の香り) 雲外に飄(ひるがえ)


と歌われて以来、霊隠寺と隣り合う天竺寺も、「桂子・天香」の詩跡となっていく。晩唐・皮日休「天竺寺の八月十五日の夜の桂子」に、

玉顆(ぎよくか)珊珊(さんさん)として(玉の顆(つぶ)さながらのモクセイの実がぱらぱらと) 月輪より下(お)
殿前に拾い得て 露華新たなり


と詠まれるのは、この例である。
 上天竺寺・中天竺寺が五代から宋代にかけて建立されたため、寺は下天竺寺と呼ばれた。清・厲鶚
(れいがく)の詩「下天竺寺の後(うしろ)に三生石(さんしょうせき)を尋ぬ」の終わりには、

裴回(はいかい)して問わんと欲す 林間の笛
桂子峰頭 月明を待つ


と詠まれている。清代、寺は法鏡寺と改名された。焼失した後、寺は光緒8年
(1882)に再建、2006年以降重修されて、現在、西湖唯一の尼僧寺院となる。
(植木 久行)

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