詩跡名 蘭亭
別称  
地理 浙江省紹興市
代表作
訪問日 2010.9
関連語
その他  
説明  蘭亭…紹興市西南、約14キロの紹興県蘭亭鎮、蘭渚山(らんしょざん)の東南麓にある。東晋の王羲之(おうぎし)が、会稽内史(だいし)在任中の永和9年(353)の上巳節(晩春3月3日)、謝安・孫綽(そんしゃく)らの名士・友人や一族の者41人を招いて祓禊(みそぎ)をした後、曲水流觴の宴を開いて、詩を競作した。このとき作られた四言・五言の詩を集めて編纂された書が『蘭亭集』1巻であり、王羲之みずから序文(蘭亭叙、蘭亭集序)を書いている。集中には一種の思想詩、いわゆる玄言詩が多いが、なかには

鶯の語(ね)は脩(なが)き竹に吟(な)
(およ)ぐ鱗(うお)は瀾濤(なみ)に戯る
(孫綽の詩)

などのような自然描写の句もある。
 唐の大暦年間の初期、鮑防
(ほうぼう)・厳維ら35人による「蘭亭の故池を経(ふ) 聯句」が伝わる。それにはいう、

曲水 歓びを邀(むか)うる処
遺芳 尚お宛然たり
名は右軍
(王羲之)より出で
山は古人の前に在り
蕪没
(ぶぼつ) 塵迹を成し
規模 大賢を得たり
湖心 舟已に並び
村歩 騎仍
(な)お連なる
賞は是れ文辞の会
歓は癸丑の年
(永和9年)に同じ
茂林 旧径無く
修竹 新煙起こる
(あたか)も是れ崇山(すうざん)(高い山)の下
仍お古道の辺
(ほとり)に依る


云々と。南宋の『嘉泰会稽志』巻10にはいう、「蘭亭の故池は
(会稽)県の西南二十五里に在り。王右軍 修禊(しゅうけい)の処」と。
 蘭亭雅集の地は、現在、紹興市から諸曁市に赴くルート
(省道)上にあるが、じつは当地は本来の場所ではなく、明代中期(嘉靖27年[1548])、「蘭亭叙」のイメージに合う地に再建されて以降のものである。「蘭亭の絶境 吾が州に(名を)(ほしいまま)にす」で始まる南宋・陸游の「蘭亭」詩には、

曲水の流觴 千古の勝
小山の叢桂 一年の秋
酒酣
(たけなわ)にして舞を起こす 風前の袖
興尽きて橈
(かい)を回らす 月下の舟


と歌われているが、宋代の蘭亭は、唐代の地を継承し、現在地と少し離れた天章寺
(北宋の至道2年[996]の建立。現在なし)のそばにあったらしい(南宋・王象之『輿地紀勝』巻10)。ただし当地も本来の蘭亭の跡ではない。

 蘭亭の場所は本来のものとは異なるが、明清以降も、六朝貴族の風雅な韻事
(あそび)の地として詠まれ続ける。明末・袁宏道は、この蘭亭に訪れ、「墨池は閑かに水を貯え、猶お村鵞(そんが)を放つを得たり」(「蘭亭」)と歌う。墨池は王羲之が筆や硯を洗ったという池。また鵞は彼が愛したガチョウのこと。そのゆかりのガチョウが今もなお放し飼いにされている、と。また清・乾隆帝「蘭亭即事」(七律)詩には、

風華 昔より 佳地と称し
觴詠 今に於いて 盛名を紀
(しる)
竹は春煙重くして 偏えに淡蕩
花は禊日
(けいじつ)(上巳節)に遅れて 尚(な)お旉栄(ふえい)(花が咲く)

云々と詠まれている。
 今日の蘭亭には、鵞池、鵞池碑亭
(亭下の碑の「鵞池」の2字は王羲之と子の王献之がそれぞれ一字ずつ書いた、父子合作の筆と伝える)、流觴曲水(長さ78メートル)、流觴亭、御碑亭(高さ6・9メートルの碑陽には康煕帝の筆になる蘭亭集序、碑陰には乾隆帝が蘭亭を訪れたときに書いた「蘭亭即事」詩[前引]が刻まれている)、右軍祠などがある。鄒志方・車越喬編『歴代詩人詠蘭亭』(新華出版社、2002年)、王春燦編著『古往今来話蘭亭』(上海百家出版社、2010年)が参考になる。
(植木 久行)

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