詩跡名 九日山
別称  
地理 福建省泉州市
代表作
訪問日 2010.9
関連語
その他  
説明 九日山…泉州市の西、南安市豊州鎮旭山村[金鶏村]の山。「旧俗、常に重陽の日を以て此(ここ)に登高す。故に名づく」(『方輿勝覧』巻12、泉州、九日山の条)という。晋江の北岸に位置し、東峰・西峰・北峰の三峰からなる。東峰は高さ約112メートル、姜公輔(きょうこうほ)(唐の宰相。泉州別駕に左遷され後、官を辞す)の隠棲・終焉の地であるため、姜相峰と呼ばれる。

 他方、西峰は高さ約90メートル、中唐の詩人秦系
(しんけい)は建中年間(780~783)ごろ泉州に来て、九日山を愛して隠棲した(『新唐書』巻196、隠逸伝、秦系の条)ので、高士峰とも呼ばれる。(一時期、当地を離れた後、貞元年間の中後期、再び住む)

 秦系の「春日閑居」
(三首、其の一)に、

(ひと)えに桃源の隠に似たり
(まさ)に過客をして迷わしむ


とある。

 当地の人は秦系をしのんで「秦君亭」を建てた。南宋・王十朋「秦君亭」詩には、

山中の高隠 名を逃れんと欲す
(おも)わざりき 名は隠処に随って成るを
石に一泓
(いちおう)を鑿(うが)ちて(石に穴をあけて硯としたこと) 詩数首
(ま)た曾て五言の城を攻め破る
(唐の権徳輿は、劉長卿は自分の詩こそ五言の長城と思っているが、秦系は偏師(一部隊)でそれを攻めている、と評した話[『新唐書』巻196、隠逸伝]を踏まえる)

と詠まれている。また南宋の釈円悟・呉栻
(ごしょく)には、「秦君亭に題す」詩があり、後者には

秋日 春風 麗句亭
先生は 天上の少微星
(処士の星)


と歌う。現在のものは1990年の再建である。

 南宋・朱熹には「九日山の石仏院の乱峰軒に題す」二首、「九日山の廓然亭に寄題す」などがあり、後者の詩には、

(かつ)て九日山に遊び
髪を巌上の石に散ず
仰いで天宇の近きを看
(うつむ)いて塵境の窄(せま)きを歎く


云々と歌われている。廓然亭も現在東峰に再建されている。

 九日山の延福寺
(西晋・太康9年[288]の創建。唐・大暦3年、現在地に移る。1991年の再建)は、宋代、〈商船が海に出る際に風を祈って舶(おおぶね)を送る〉場所であり、郡守の蔡襄・王十朋・真徳秀らが祈風の大典を掌ったことで知られている。

 九日山下の金鶏古港に出発を待つ海船が雲集し、風帆をあげ、晋江を下って刺桐
(しとう)(泉州)港に出て、大海に乗り出したという。このため九日山は海のシルクロードの起点とも見なされる。

 北宋以来、清代に至る摩崖石刻が東峰と西峰にあわせて77あるとされ、中には祈風の碑刻もある。唐宋以来、泉州は著名な海外貿易港であった。

(植木 久行)

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